先日は絵チャにおじゃましありがとうございました!
ところで語った内容ですが未だ勉強中のみなので完全信用しないでください、本当(ここで
テンションの赴くまま言ったので先走りとか妄想乙とかでかいです
後々あっ、違ったとか出るかもです
でもすごく楽しかった←
さて手にいれようと頑張ってようやく手が届いたらそれは刻々と価値を失ってくとか堪らないですね。凄いあー…てなる。まぁつまりなにが言いたいかってお分かりであろう、大内の家話なんですはい。
大内家は贈三位運動の末、最後(厳密にはアレだが)の当主義隆の父、義興の代でついに従三位を手にいれ公卿に列せられます。
そして息子義隆は更に高位を望み、献金を積み重ね従二位にまでなるのです。
位階には詳しくないんであれですが、従二位は貴重で公卿の位階としても高位、武士の間では鎌倉時代から室町時代にかけては、北条政子以来、将軍の正室である御台所に与えられることはあっても、将軍の一門ですら叙せられることはなかったそうです(うぃき)。だから従二位贈位は凄いことだったんですよ。ここまでは。
そう歴史は戦国時代に進んでいってますので・・この先官位の価値低下しまくり。後世から役に立たない官位を手に入れるのに大金を使うとかないわーとか評価されちゃうぐらいです…
また大内義隆は運も悪かった、義隆のころの後奈良天皇は潔癖な人で金で官位を授けることを嫌がる人でしたが、次の正親町天皇は献上金に報いる方で。だからいっそう義隆の献金の動きが悪目立ちするんですよねー、これは本当運が悪い。
まぁ、先が読めんかったとか時代についていけてないとか言われたら本当そうね…って話なのですが。それでも大内家の辿ってきた道のりをおもうとなんか、こう、こう!(何
っていうそれだけのお話
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