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妄想でできている

書き散らすだけではなんだろうと思ったので
戦国大名の最近熱い人について書き散らしよりはマシな程度に

主観が強いのでそこはよろしくお願いいたします

大内義隆
中国地方周防・長門・石見・安芸・豊前・筑前の守護職
二回目の全盛期を迎えた大内家の当主であり
当時の"最強の領主"(宣教師ザビエルさん談)
前半生はしっかり義務をこなしていたが
35歳に体験した大敗&息子(養子)の死より急激になにもしなくなり
謀反の疑われる家臣を1~2年も放ったらかしにした挙句しっかり謀反された。
さらには謀反されても兵を挙げないという、何だこの人…。
最後は見限らなかった少ない家臣とともに落ち延びるが、追手に囲まれ大寧寺で自害する。

相当な知識人で和歌、漢詩、管弦、能、神道、仏学、朱子学など色々こなす
文化、芸能の保護に力を入れ、出版事業は特に古典継承に役割を果たしたと思われる。
そのインテリぶりを表すかのように辞世の句は和歌と漢詩を合わせた独特のものであり
後世の人間がぱっと見読めないという由々しき問題を抱えている。


ちなみ謀反した家臣は一番寵愛したと言われる衆道相手である
おそらくこれが一番有名なお話であり。
したがって彼のよくあるイメージは、お察しください


大友宗麟
九州豊後の戦国キリシタン大名、大内義隆の甥っ子である
キリスト教への傾倒と南蛮貿易で有名
基本優秀な人なのだがどうもメンタル面があかん

仕事のストレスから新興宗教にハマりだし、
宗教にハマったことで家庭内が不和になっていくという
戦国時代の話なのにもの物凄く生々しいものをみせてくれる。
正妻とは呪われる仲である。が愛されてはいたのかなんなのか
離縁時には正妻は自殺未遂を起こしたそうな

最盛期を築いたが同時に没落にも深ーく関わっており波を感じさせるが
ただ最終的に外交能力を発揮して家を守り通したあたりやっぱり優秀だと思う


天正遣欧少年使節の名代の一人
この時の使節団はフェリペ2世に歓待されているそうで
フェリペ2世はメンバー四人に抱擁をしたり
服装に興味を示し特に草履を手にとって眺めたりしたそうな
可愛い。



大友吉統
大友宗麟の長男で大友家第22代当主
むry・・稀代の凡将
やることなすこと大体悪い方へ向かう上、自身のメンタルにも問題があるという…

豊後侵攻で父を置いて後方に引いたり、朝鮮出兵で味方を放って逃げたり、キリシタンだったけど秀吉の棄教令で即刻棄教弾圧開始したり、秀吉の態度が軟化して開かれた天正遣欧少年使節を出迎えるパーティに招かれてないのに乱入して弾圧について言い訳、自虐トークしたり…
本当にいい話がない、しかも酒乱。

改易時の当主は往々において悪い印象がついて回るものだが
吉統の場合本当に残念なので仕方ない
ただ無能というより運の悪さも強いような気がするが・・これ逆に気の毒か
不仲な父母に挟まれて翻弄された人物でもある。気の毒
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戦国石高マップ

ついでに これは気に入ってるので持ってきた
 
役に立つのか立たないのかわからない戦国石高マップ

地図はフリー素材、数値はwikiの石高記事
旧国別石高の変遷の慶長三年いわゆる太閤検地の数値を参考にしてます
陸奥と出羽がないのは範囲広すぎて参考にしずらかったので・・

赤色:50万以上
橙色:40万以上
黄色:30万以上
黄緑:20万以上
水色:15万以上
青色:10万以上
紫色:5万以上
灰色:5万未満

多いところでは武蔵60万超え、近江70万超え
少ないとこでは壱岐、対馬の0が飛び抜けてました。

しかし中国地方の色の寒々しさはガチだなぁ
とはいえこのへんは大内がある頃は明との貿易で稼いでたり
出雲のあたりが鉄の産地だったり、とどめにあの石見銀山があったりするので
貧しーーってわけではなさそうですが

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意味はない

また大内義隆のだべりですよ
民衆が謀反を噂しまくり避難を始めても謀反潰しの為に動かないという
危機感が欠片もないというか、自殺願望でもあんのかと疑いたくなるお人大内義隆です
義隆は大内では珍しい家督争いを体験していない当主で
それが逆に良くなかったんじゃねとか言われてるわけですがー
家督争いが当然の中で体験してないというとぱっと思いつくのが
かの大帝。
とはいえ彼はしっかり親友殺しもこなし不安要素を始末してて(比べんのが失礼とか言わないでry)流石ですね。いや普通なのか…?
ところでスレイマン一世は16歳でスルタンに、その前の父セリム一世の在位年数は8年。
というと8歳までスレイマンは”スルタン”の一人息子ではないわけだよなと
あたりまえのことながら考え。
自身はスムーズに即位したとはいえ小さい頃の自分の立場の変化とか
8歳ならきっちり感じてたろうなぁとか
こういう歴史の中のどうでもいいような細々としたことを考えるのが私は非常に楽しいです
あれ話し変わってる

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