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注!筆者は大内びいき

大内の財力に惚れるううう

他の家が千単位の軍勢なのに万単位の軍を船で輸送して
兵糧も確保してあげくに情勢変化で敗軍になっても金で解決して
名誉保ったまま帰国してすぐまた幕府に金を送るとかなんなんですかね
どこから金が沸いてるんですかね
貿易と密貿易と倭寇ですかね

10年間京都に軍勢を置き続けるとかどんだけ金がかかるんですかね!
日明貿易でいくら儲けたんですかね!
石見銀山でいくら儲けたんですかね!
自分の街を京都風にするのにいくら金使ったんですかね!


大内家!


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アミールが高校世界史知識と聞いて


ファーティマ朝の最初が歴史倉庫さんで漫画になったよ!
やったね!さぁ皆さん見に行くんだ




そして私は前に後のばしにしたウマイヤ朝についてぐぐるのであった

ウマイヤ朝
イスラム史上最初の世襲イスラム王朝


後ウマイヤ朝
アッバース革命でアッバース朝がウマイヤ朝を滅ぼす
一人生き残ったウマイヤ家の王族アブド・アッラフマーン1世が起こした

アブド・アッラフマーン1世(756年 - 788年)はカリフではなくアミール

ていうかアブド・アッラフマーン3世(929年 - 961年)がカリフを名乗りだすまで
は後ウマイヤ朝の君主名はアミール


さてアミールってなんだ
将軍
アラビア語で「司令官」「総督」を意味する語
正統カリフ時代には遠征軍の長、征服地の総督がアミールと称した。
アブド・アッラフマーン1世の名乗るアミールはこっちの意味でいいのかな…

大アミール
アッバース朝時代の10世紀前半らへんから登場
ワジール(宰相)とハージブ(侍従)を統括してカリフに代わって権力を掌握した。
大アミールの称号はのちにブワイフ朝に世襲されて、
ブワイフ朝を滅ぼしたセルジューク朝は大アミールに代わってスルタンの称号を受た
ここからへんから
アミールの称号はマムルークを統括し、時に地方総督となる将軍クラスの軍人の称号として
使われるように…?

カリフは「信徒たちの長」を意味するアミール・アル=ムウミニーンとも称する
これはアミールとは違うんでいいのよな、名乗るとカリフを僭称することになるらしいので



未だに人と王朝名が一致しない私のためのメモ

・スンナ派(スンニ派)
ウマイヤ朝(アブド・アッラフマーン1世)
アッバース朝(マンスール、ハールーン・アッラシード)
アイユーブ朝(サラディン)
マムルーク朝(バイバルス、カラーウーン)
ブルジー・マムルーク朝(バルクーク(初代スルタン)、バルスバイ)
オスマン朝(言わずもがな)
セルジューク朝

・シーア派 
ファーティマ朝(ウバイドゥッラー(カリフ)、ハーキム)
サファヴィー朝(邪悪なほど美しいイスマーイール一世)



次はセルジューク朝が謎

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無題

終わったー!!開放感!しかし色々あかんかったので襲い来る次への恐怖
ままならない
まぁでも終わったのでさっそく届いてた本を読み始めております
そう大内家
義隆の父、大内 義興がメインです。
山口に逃げてきた前将軍・足利義尹を擁立し、中国の諸大名に動員令を発して上洛
10年間京都に滞在し幕政を執行した話が一番知られた人ではないでしょうか。
家督争いでは弟と争ったり(負けた弟は大友家に逃亡)
波乱があって見どころある人だとは思ってたんですが読んだらもっと面白かった

15歳にして父の代わりに上洛してただとか
そもそも生まれは京都だったっぽいとかも面白いんですが。
まさか朝敵指定されてたことがあったとは
10年の滞在の中では普通に帝に頼られてて
帝から山口に帰らないでコールがあったのは知ってただけに驚いた。

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ここからが地獄の始まりだ・・



※柿田さんのお家のエジョフさん(自己流)


テスト期間中になるとお絵かきしたくなる病気はなんなんですかね、駄目人間の病?
コロコロしたのが増える増える
しかし軍服の足のぷくってしたとこ可愛い
そしてタイトルテストのつもりでしたけど他にも当てはまりそう


つづきはこちら

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高校の教科書が欲しい

カリフについて理解できてないなと思ったのでちょっとググったのを自分用に纏め
正しいかは相変わらず定かで無い・・。安くていい資料求む・・
高校の時に世界史あればなぁ


・スンナ派(スンニ派)
オスマン朝
ウマイヤ朝
アッバース朝
セルジューク朝
アイユーブ朝
・シーア派 
ファーティマ朝
サファヴィー朝


・スンナ派のTOPはカリフ 
1922年のスルタン制廃止、1924年カリフ制も廃止。
この時のスルタン、メフメト6世の従兄弟アブデュルメジト2世が最後の承認されたカリフ


・シーア派の指導者はイマーム
でもファーティマ朝のハーキムはカリフ。
何故だ⇒アッバース朝のカリフに対抗してらしい・・?
ファーティマ朝(909年 - 1171年)始祖ウバイドゥッラーは最初はイマームを名乗ってたよう
だが王朝建国からカリフを名乗りだすっぽい

ファーティマ朝最後のカリフは20歳の若さで病死←この人がサラディンの時のカリフ
サラディンはアッバース朝カリフの宗主権を承認する宣言を行い、
ファーティマ朝は終焉を迎えシーア派カリフも居なくなったと


※ファーティマ朝と同じ時期、後ウマイヤ朝がカリフを名乗ったのでイスラム世界には3人のカリフが!



セリム一世が保護してたいうのになんでスレイマンの時にはカリフいないん?
⇒1517年セリム一世がマムルーク朝を滅ぼす
この時カリフ(アッバース朝)を連れてって保護、子孫への継承ができずカリフ途絶える。

後に16世紀初頭にオスマン帝国のスルタンはアッバース家最後のカリフからカリフ権の禅譲を受け、スルタンとカリフを兼ね備えた君主であるという伝説が生まれた(スルタン=カリフ制)。




とりあえずこんだけ ウマイヤ朝あたりぜんぜんなのでまた調べる

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