忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

9月1日

よりによって明日、明後日テストの今日が
旧暦での大内義隆の命日であるのを知り
ぐおぅってなったとこに
新情報、毛利隆元の旧暦命日も今日というのがきてぐおおおってなる
なんでぐおおしてるかは下を見るとなんとなくわかっていただけるかと

毛利隆元
みんな知ってる有名人、毛利元就の長男
誠実で温厚、内政能力や財政に秀でた縁の下の力持ち。
しかし一方地味がちであり、兄弟の中での仲間はずれ意識や
父に対するコンプレックスがあるようで
元就が本隠居宣言した時には自分も隠居する、隠居が駄目なら死ぬと動揺しまくり
元就は結局隠居できなかった。
毛利傘下の国人との晩餐後急死。毒殺、食中毒と原因ははっきりしていない。

大内家に人質に出ていたことがありその時に義隆にとても可愛がられた
名前の「隆」の字は義隆から送られたものであり、元服の時の烏帽子親も義隆
そして嫁さんは義隆の養女。

義隆が家臣陶晴賢に討たれた(大寧寺の変)後は慎重策をとる父元就に陶氏打倒を強く主張。
悪逆無道など陶を強く批判した
厳島の合戦後は大寧寺の変で焼けた龍福寺を
義隆の菩提寺として復興している。


PR

歴史っぽい話 : Comment (0)

夏が終わるー




夏らしい絵夏らしい絵とずっとうんうん唸ってたんですが時間切れじゃんってのに気付いて。
ていうかもう今現在寒い、足が寒い
あれですねオシャンティーな絵が描きたいですね、センスってどう勉強すればいいのかしら

とりあえずはいいもの見ようぜってことで
昨日京都の細見美術館に行ってきたんですが良かったです、可愛いの洪水
色は可愛いわ、ハート型のカップとかトンボや蝶やパンジーの形したハンドルとか
どう考えても飲みにくいけど可愛い小花の立体装飾が散らばったのとか目が幸せ
じゃがいも型のカップとかどうして作ろうと思ったの

マイセンの透かし彫りも見たよ!もー綺麗綺麗。
しかし前面透かし彫りしてあってどう考えてもお茶が溢れるポットさんはどうするんだろう
グラスは硝子のカップとか入れればいいけど、謎

勢いあまり展覧会図録も予約しちゃったので
届いたらコレ誰々に使わせたいとか妄想しようと思いますふふふ

未選択 : Comment (0)

読んでる最中

大内ちょっとまとめたいけど
最初とかわかってないし小説でしか読んでないとこあるよ!

というわけで図書館でようやく本を借りてきて読んでるんですが
最初のほう
大内家が鎌倉幕府で中国の勢力としては特別の扱いをうける切っ掛けが
平家から源氏に味方したっていうことらしいのが個人的にはすごく美味しいよねっていう

この後平家一門は壇ノ浦に向かうわけですが
西国に基盤を持っていた平家が滅ぶその時代
末に一時は西国の王とか言われることになる大内家が権力を高め始めるっていうのは
こう、後に大内が滅び毛利家が変わって中国地方の支配者になるのを思ったりして
つまりなんだ、ロマン。


歴史っぽい話 : Comment (0)

タオル巻いてたら頭痛い

ここは何サイトかな?と思ったりしましたが考えてみれば
ここは私の放り出し箱なので問題はなかった
今日もぶん投げる



以下纏めると多分ただの親馬鹿

つづきはこちら

創作 : Comment (0)

夢見がちです

先日は絵チャにおじゃましありがとうございました!
ところで語った内容ですが未だ勉強中のみなので完全信用しないでください、本当(ここで
テンションの赴くまま言ったので先走りとか妄想乙とかでかいです
後々あっ、違ったとか出るかもです
でもすごく楽しかった←


さて手にいれようと頑張ってようやく手が届いたらそれは刻々と価値を失ってくとか堪らないですね。凄いあー…てなる。まぁつまりなにが言いたいかってお分かりであろう、大内の家話なんですはい。

大内家は贈三位運動の末、最後(厳密にはアレだが)の当主義隆の父、義興の代でついに従三位を手にいれ公卿に列せられます。
そして息子義隆は更に高位を望み、献金を積み重ね従二位にまでなるのです。
位階には詳しくないんであれですが、従二位は貴重で公卿の位階としても高位、武士の間では鎌倉時代から室町時代にかけては、北条政子以来、将軍の正室である御台所に与えられることはあっても、将軍の一門ですら叙せられることはなかったそうです(うぃき)。だから従二位贈位は凄いことだったんですよ。ここまでは。

そう歴史は戦国時代に進んでいってますので・・この先官位の価値低下しまくり。後世から役に立たない官位を手に入れるのに大金を使うとかないわーとか評価されちゃうぐらいです…

また大内義隆は運も悪かった、義隆のころの後奈良天皇は潔癖な人で金で官位を授けることを嫌がる人でしたが、次の正親町天皇は献上金に報いる方で。だからいっそう義隆の献金の動きが悪目立ちするんですよねー、これは本当運が悪い。

まぁ、先が読めんかったとか時代についていけてないとか言われたら本当そうね…って話なのですが。それでも大内家の辿ってきた道のりをおもうとなんか、こう、こう!(何
っていうそれだけのお話

未選択 : Comment (0)