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無題

歴史倉庫様の子をお借りしました
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つづきはこちら

歴史っぽい話 : Comment (0)

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9月1日

よりによって明日、明後日テストの今日が
旧暦での大内義隆の命日であるのを知り
ぐおぅってなったとこに
新情報、毛利隆元の旧暦命日も今日というのがきてぐおおおってなる
なんでぐおおしてるかは下を見るとなんとなくわかっていただけるかと

毛利隆元
みんな知ってる有名人、毛利元就の長男
誠実で温厚、内政能力や財政に秀でた縁の下の力持ち。
しかし一方地味がちであり、兄弟の中での仲間はずれ意識や
父に対するコンプレックスがあるようで
元就が本隠居宣言した時には自分も隠居する、隠居が駄目なら死ぬと動揺しまくり
元就は結局隠居できなかった。
毛利傘下の国人との晩餐後急死。毒殺、食中毒と原因ははっきりしていない。

大内家に人質に出ていたことがありその時に義隆にとても可愛がられた
名前の「隆」の字は義隆から送られたものであり、元服の時の烏帽子親も義隆
そして嫁さんは義隆の養女。

義隆が家臣陶晴賢に討たれた(大寧寺の変)後は慎重策をとる父元就に陶氏打倒を強く主張。
悪逆無道など陶を強く批判した
厳島の合戦後は大寧寺の変で焼けた龍福寺を
義隆の菩提寺として復興している。


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読んでる最中

大内ちょっとまとめたいけど
最初とかわかってないし小説でしか読んでないとこあるよ!

というわけで図書館でようやく本を借りてきて読んでるんですが
最初のほう
大内家が鎌倉幕府で中国の勢力としては特別の扱いをうける切っ掛けが
平家から源氏に味方したっていうことらしいのが個人的にはすごく美味しいよねっていう

この後平家一門は壇ノ浦に向かうわけですが
西国に基盤を持っていた平家が滅ぶその時代
末に一時は西国の王とか言われることになる大内家が権力を高め始めるっていうのは
こう、後に大内が滅び毛利家が変わって中国地方の支配者になるのを思ったりして
つまりなんだ、ロマン。


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アミールが高校世界史知識と聞いて


ファーティマ朝の最初が歴史倉庫さんで漫画になったよ!
やったね!さぁ皆さん見に行くんだ




そして私は前に後のばしにしたウマイヤ朝についてぐぐるのであった

ウマイヤ朝
イスラム史上最初の世襲イスラム王朝


後ウマイヤ朝
アッバース革命でアッバース朝がウマイヤ朝を滅ぼす
一人生き残ったウマイヤ家の王族アブド・アッラフマーン1世が起こした

アブド・アッラフマーン1世(756年 - 788年)はカリフではなくアミール

ていうかアブド・アッラフマーン3世(929年 - 961年)がカリフを名乗りだすまで
は後ウマイヤ朝の君主名はアミール


さてアミールってなんだ
将軍
アラビア語で「司令官」「総督」を意味する語
正統カリフ時代には遠征軍の長、征服地の総督がアミールと称した。
アブド・アッラフマーン1世の名乗るアミールはこっちの意味でいいのかな…

大アミール
アッバース朝時代の10世紀前半らへんから登場
ワジール(宰相)とハージブ(侍従)を統括してカリフに代わって権力を掌握した。
大アミールの称号はのちにブワイフ朝に世襲されて、
ブワイフ朝を滅ぼしたセルジューク朝は大アミールに代わってスルタンの称号を受た
ここからへんから
アミールの称号はマムルークを統括し、時に地方総督となる将軍クラスの軍人の称号として
使われるように…?

カリフは「信徒たちの長」を意味するアミール・アル=ムウミニーンとも称する
これはアミールとは違うんでいいのよな、名乗るとカリフを僭称することになるらしいので



未だに人と王朝名が一致しない私のためのメモ

・スンナ派(スンニ派)
ウマイヤ朝(アブド・アッラフマーン1世)
アッバース朝(マンスール、ハールーン・アッラシード)
アイユーブ朝(サラディン)
マムルーク朝(バイバルス、カラーウーン)
ブルジー・マムルーク朝(バルクーク(初代スルタン)、バルスバイ)
オスマン朝(言わずもがな)
セルジューク朝

・シーア派 
ファーティマ朝(ウバイドゥッラー(カリフ)、ハーキム)
サファヴィー朝(邪悪なほど美しいイスマーイール一世)



次はセルジューク朝が謎

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高校の教科書が欲しい

カリフについて理解できてないなと思ったのでちょっとググったのを自分用に纏め
正しいかは相変わらず定かで無い・・。安くていい資料求む・・
高校の時に世界史あればなぁ


・スンナ派(スンニ派)
オスマン朝
ウマイヤ朝
アッバース朝
セルジューク朝
アイユーブ朝
・シーア派 
ファーティマ朝
サファヴィー朝


・スンナ派のTOPはカリフ 
1922年のスルタン制廃止、1924年カリフ制も廃止。
この時のスルタン、メフメト6世の従兄弟アブデュルメジト2世が最後の承認されたカリフ


・シーア派の指導者はイマーム
でもファーティマ朝のハーキムはカリフ。
何故だ⇒アッバース朝のカリフに対抗してらしい・・?
ファーティマ朝(909年 - 1171年)始祖ウバイドゥッラーは最初はイマームを名乗ってたよう
だが王朝建国からカリフを名乗りだすっぽい

ファーティマ朝最後のカリフは20歳の若さで病死←この人がサラディンの時のカリフ
サラディンはアッバース朝カリフの宗主権を承認する宣言を行い、
ファーティマ朝は終焉を迎えシーア派カリフも居なくなったと


※ファーティマ朝と同じ時期、後ウマイヤ朝がカリフを名乗ったのでイスラム世界には3人のカリフが!



セリム一世が保護してたいうのになんでスレイマンの時にはカリフいないん?
⇒1517年セリム一世がマムルーク朝を滅ぼす
この時カリフ(アッバース朝)を連れてって保護、子孫への継承ができずカリフ途絶える。

後に16世紀初頭にオスマン帝国のスルタンはアッバース家最後のカリフからカリフ権の禅譲を受け、スルタンとカリフを兼ね備えた君主であるという伝説が生まれた(スルタン=カリフ制)。




とりあえずこんだけ ウマイヤ朝あたりぜんぜんなのでまた調べる

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